木暮武彦(レベッカ)とシャケギター・ビルローレンスについて。

木暮武彦(レベッカ)とシャケギター・ビルローレンスについて

1984年、REBECCAのリーダー、ギタリスト兼ソングライターとして、あのNOKKOを見い出しプロデビューした木暮武彦さん。事務所との対立でREBECCAを脱退した後は、1986年にダイヤモンド☆ユカイ氏らとRED WARRIORSを結成し再度ブレイクしますが、歌謡曲よりも売れたロックンロールの立役者として、日本のロックを変えたとも評価される素晴らしいミュージシャンです。当時からあだ名で「シャケ」と呼ばれていました。1989年にRED WARRIORSを解散後は渡米、現地でCASIO DRIVEを結成します。

その後1995年に帰国し、現在はソロワークやMt.DELICIOUS等で活動し、それと並行して最近はピンクフロイドのトリビュートバンド「原子心母」でも活動しています。

余談ですが、原子心母のヴォーカルはCASIO DRIVEのヴォーカル、ラヴリー・レイナ氏です。

現在では様々なギターを使用している木暮武彦さんですが、彼自身が一番の思い出が残るギターとして挙げたギターがビル・ローレンス製BC0R-55B、通称「シャケギター」です。

このギターはブルーのストラトタイプのギターに、シングルコイルピックアップがリアにひとつだけ積まれており、コントロールはボリュームしかないシンプルなスタイルですが、定価5万5千円という廉価なグレードにもかかわらず、木暮武彦さんは市販品をそのまま愛用していました。

BC0R-55Bは彼のシグネイチャーモデルというではありません。にもかかわらず、何故彼は一番思い出に残るギターとしてこのギターを挙げたのでしょうか?

ビル・ローレンスとは?

本文に入る前に今は無きギターブランド、ビル・ローレンスについて説明します。

ビル・ローレンスは本来ピックアップの製作者の名前であり、彼のピックアップのブランド名でもあります。

彼は1931年に西ドイツで生まれ、10代の頃にはギタリストとして名を馳せ、また独自でピックアップも完成させます。1960年代にはドイツ・フェンダー社とエンドース契約を結ぶなど、ギタリストとしての地位を不動のものとしますが、自身で作成していたピックアップがアメリカの著名なミュージシャンに愛用されていることを聞きつけた天下のギブソン社が彼を迎え入れ、L6などのピックアップの開発を行いました。

ちなみにビルはギブソン社に入社後も、会社との関係を維持しながら、シングルブレードのL-250、ツインブレードハムバッカーL-90、そして彼の名作となるL-500など、続々とアフターマーケット用ピックアップを独自開発していきます。彼はピックアップのポールピースをブレ-ド型にした最初の一人で、今でも著名なところではエアロスミスのジョー・ペリーやパンテラのダイムバック・ダレル、エクストリームのヌーノ・ベッテンコートが愛用者に名を連ねています。

そして1980年代前半頃、楽器問屋でビル・ローレンス製ピックアップの日本総代理店でもあったモリダイラ楽器が、系列のモーリス楽器製造株式会社での本格的なエレキギター製造に着手した際、「ビル・ローレンス・ギター」のプロジェクトが発足し来日、ピックアップには世界三大ギターピックアップブランドとなっていたビル・ローレンス製を積む事となり、ギターのブランド名そのものもビル・ローレンスになります。

つまりビル・ローレンスとは

・ビル・ローレンスご本人
・ピックアップメーカーのブランド名
・ギターのブランド名

の3種類がある事になります。

その後、ギターブランドのビル・ローレンスは2000年には無くなっており、ビル・ローレンスご本人も2013年に死去されています。しかし現在でも、彼の妻と残ったスタッフが作り続けるピックアップをオフィシャルサイトでも購入できます。

BC0R-55Bについて

木暮武彦さんがREBECCAで活動を開始された頃はモリダイラ楽器がスポンサーとしてついていたようで、その頃からビル・ローレンスのギターを使用しています。

しかし、彼は当時、基本リアピックアップしか使用しておらず、アグレッシブな演奏でピックアップセレクターが手に当たって音が変わる事を嫌がり、他のピックアップを外しセレクターも外す希望をビル・ローレンス側に伝えたようです。

当初はその改造のみだったようですが、そのギターを商品化するリクエストがあり、木暮武彦さんがRED WARRIORSで再デビューする頃にBC0R-55Bが商品化されます。

当時木暮武彦さんはBC0R-55Bしかギターを使っておらずライブの写真やアーティスト写真、テレビでの演奏全てがBC0R-55Bと一緒でいつしかこのギターを「シャケギター」と呼ぶ人達が増えていき、日本製ギターとしては今でも3本の指に入るほど数量を販売したモデルとして、今でも愛好家が数多くいます。

BC0R-55Bの広告でも木暮武彦さんが使われており、「木暮武彦モデル」と書かれていましたが、実際には売っている商品を使っているというスタンスだったそうです。

その後

しかし、RED WARRIORSの後半にはハムバッカーを積んだ黒いビル・ローレンスのギターを使用する事が多くなり、渡米する頃にはすっかり使わなくなっていました。

その後も本家フェンダーのストラトキャスターは使用する事はあってもシャケギタ-は使用する事は無くなりました。

しかし、X JAPANのファンが今でもデビュー当時(X時代)の髪型や衣装を最初に連想するのと同じように、「木暮武彦さん」と言えば多くの方がビル・ローレンスBC0R-55B「シャケギター」を連想するのではないでしょうか。

 

BC0R-55B「シャケギター」のサウンドについて

音の特色は、なんと言っても1ピックアップ1ヴォリュームというシンプルな構成から紡ぎ出される、新世代のロックンロールとも言えるストレートな音色です。また、ストラトキャスターやテレキャスターのリアピックアップは、低音弦の倍音を耳に優しく届けるために通常はスラント(斜めに傾けて装着)するのですが、シャケギターではスラントさせず、しかも通常よりもブリッジ寄りにセットされています。そしてピックアップには、低音~中音を心地よくブーストさせて甘いサウンドを出すのが特徴のBlack Label S3。このバランスが独特の「ギャリッ」とした音を出し、初期のRED WARRIORSの名曲に聞かれるあの独特のリフとバッキングを作り出しました。

その後のシャケギター

RED WARRIORSの後半からは、2ハムバッカーのビルローレンスのギターを使用する頻度が上がっていきます。そしてビルローレンスからシャケのシグネイチャーモデルが発表され、今でもそれらの音を聞くことができます。日本の歌謡界に「これがR&Rだ!俺のやりたい音楽だ!」と言わんばかりに登場したRED WARRIORS、そしてシャケとシャケギター。そのカッコよさはリアルタイムで体験した人達には強烈な印象であり、いつまでも燦然と輝き続けるのです。

 

ギタリストの村治佳織さんの凄さについて

村治佳織さんは日本の女性クラシックギタリストとして有名です。

高校生だった1993年にデビューして以来病気等での活動休止期間はあるものの、現在39歳(2017年時)という若さにもかかわらず四半世紀のキャリアを持っています。

そんな彼女の簡単な経歴をご紹介します。

村治佳織さんの経歴

彼女の父親の村治昇さんはギター講師で、その関係で家にギターがあり、生まれた時から彼女はギターをおもちゃ代わりに遊んでいたそうです。

ギターを始めた時期は本人がテレビ番組で語ったところによると2歳の終わりだそうです。

ギターマガジンで最初のインタビューを受けた時や高校生の時テレビ番組に出演した時ははまだ幼い彼女と村治昇さんが一緒に演奏している写真も紹介されています。

村治佳織さんは1993年に15歳にしてCDデビューをし、その後高校卒業後日本以外にも活動範囲を広げます。

そして、2003年にはクラシックの名門であるデッカレーベルと日本人初となるインターナショナル長期専属契約を結びます。
経歴だけ見ても優れた演奏家である事は間違いありません。

ギターの鳴らし方を本能的に熟知

彼女はまだデビュー前の話から日本のクラシック界では既に有名でした。

年少の頃から卓越なテクニックがあった事は間違いありませんが、ただ上手いだけでは話題になるわけもありません。

話題になる理由は彼女の音の表情の付け方が最初から素晴らしかったという事だと思われます。

これは彼女はそれこそ生まれた頃から遊んでギターに触っているので、ギターの鳴らし方を本能的に熟知していたからだと思われます。

プロのクラシックギタリストになるためには年少の頃から練習しなくてはなりませんが、そのせいでギターをただ鳴らす面白さがわからずに、ただフレーズを弾く練習をしがちです。

しかし、これではフレーズをなぞる事は出来ても表現力は全くない状態です。

勿論その後表現力を付けていく練習をするのですが、ギターの鳴らし方を本能的に熟知していた彼女はフレーズが弾ける頃には既に表現力が備わっていたと思われます。

またトーンだけでなく彼女は初期の頃からテンポや間の取り方が良かったようです。
この辺りもギターの音というものの本質をわかっていたのではないかと思います。

初期衝動を抱え続けている

彼女が若い頃の音源や動画を見ると技術的な上手さより気持ち良さ、楽しさが伝わってきます。

そして、年を重ねるごとにその音の美しさが磨かれていますが、若い頃の音の魅力もそのまま持ち続けてるように聴こえます。

つまる所、村治佳織さんはギターを鳴らすのが面白いという幼い頃の初期衝動を持ち続けているのではないかと勝手に考えています。

弟の村治奏一さん

余談になりますが、村治佳織さんが有名すぎて知らない方も少なくないのですが、彼女の実弟の村治奏一さんもクラシックギタリストです。

村治佳織さんよりモダンな響きを持つ音をしていて彼の音の方が好みという方もいるのでは無いでしょうか?
彼は現在ニューヨ-クと日本で活動しています。

動画投稿サイトで聴く事が出来ますので、興味持った方は聴いて見て下さい。

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